情報更新日:2014.05.07
はこだてしひがしやまびーいせき
遺跡は,昭和54年10月に北海道教育委員会が行った一般分布調査によって確認され,その後,平成24年10月に函館市教育委員会が実施した函館新外環状道路(空港道路)工事に伴う試掘調査によって調査範囲が確定されました。函館平野東部を流れる鮫川支流の七五郎沢川右岸段丘上,標高約86.5~93.0mに立地しています。現況は攪乱が広範囲に及び,遺物包含層は南西側に一部残っていましたが,他は農地改良のためローム層まで削平されていました。縄文中期末~後期前葉と後期中葉の住居跡が5軒検出されており,当該時期の集落跡と考えられます。
竪穴住居跡5軒,土坑42基,落し穴1基,焼土2か所を確認しました。平面形が卵形で,石囲炉を設置した竪穴住居跡が2軒あり,これらは中期末に構築されたと考えられます。石囲炉の炉石は方形に囲まれ,大型の石皿を再利用しているものがありました。また,複数の周溝(住居の壁に掘られている溝)が掘られた住居跡もあり,何度も建て替えを行ったことが判ります。縄文後期の住居跡は2軒あり,このうち1軒の住居跡には地面に直接火を焚いた地床炉がありました。竪穴住居跡は,調査区東側の沢に面した斜面部に構築されており,これより低い位置にはないことから,遺跡の主体部はさらに斜面上部の北東方向に広がるものと思われます。
調査状況
竪穴住居跡調査状況(PD-1)
縄文時代後期・晩期,続縄文時代前半の土器・石器が3,315点出土しました。特に,タガ状の貼付けや縄線文,網目状文,円形文・渦巻入組み文などの沈線文を特徴とする縄文後期前半の土器が主体で,全体の約8割を占めます。石器は,石鏃,石錐,スクレイパー,石斧,擦石,磨石,砥石,石皿などが出土しています。続縄文時代の恵山式土器も僅かにあります。